第8回育児セラピスト全国大会2017大阪会場「10年の時を経て」

第8回育児セラピスト全国大会2017大阪

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パネルディスカッション

パネルディスカッション

今回の全国大会のテーマである「アタッチメントを再確認する」ということを、大阪会場ではパネルディスカッションを通して行いました。東京会場の遠藤利彦先生の講演テーマ「アタッチメントと子どもの発達 ~親子関係・保育・教育における大人の役割~」と同じテーマを掲げました。

パネリストには、心理、教育、保育、医療、福祉の各分野の現場で、活躍されている方で、育児セラピストとしてアタッチメントを学ばれている方々にお越しいただきました。心理分野では、臨床心理士の鎌田怜那さん、教育分野では、宝塚大学准教授の小神野雅子さん、保育分野では、企業主導型保育園で4園の園長を務める爲谷祐太郎さん、医療分野は、近畿大学付属病院医師の本郷祥子さん、福祉分野では、社会福祉法人真生会・白百合ベビーホーム理事長の島田恭子さんの5人をお招きしました。

まず5人のパネリストには、こんな質問にお答えいただきました。

今の親や子どもあるいは子育てにおいて、問題を感じることは何ですか?それぞれの現場の立場から、あるいは、ご自身の子育て経験も踏まえて教えてください。

心理臨床の現場から見える「子育てのボタンの掛け違え」

パネルディスカッション

鎌田さんは、臨床心理士の立場から、「子育てのボタンの掛け違え」によって発達に歪みやデコボコが生じるお子さんが増えていることを問題提起いただきました。そして、その背景に、一昔前のような「子どもが育つ環境」が失われてしまったことを指摘されていました。子どもが、地域の中でワチャワチャと居て、地域の大人に見守られて、子育てが行われていた時代が確かにありました。これを「営みでつなぐ子育て」と鎌田さんは、表現していました。それが無くなった現代では、子育ては「親が自力で行うもの」となっています。育メンが増えたとは言うものの、母親の役割は大きく、特に乳幼児期の子育てにおいては、子育ての全責任を一人で背負う母親が多いのが現実です。しかし、多くの母親は育児のことなんて、全く知りません。教えてくれる人もなく、何も知らないままに母親になり、育児に悩み、情報に翻弄され、愛情はあるのに、愛情のかけ方を誤ってしまいます。

周りには助けてくれる人、教えてくれる人はいるのですが、「教えて!」と言って助けを求めることが出来ない、あるいは、そうした支援を拒んでしまう母親が少なくありません。そうして「子育てのボタンの掛け違え」が起こります。

そうした母親は、自分自身の成育歴の中に、「人に助けを求められない」アタッチメントスタイルを持っていたり、「人を拒んだり、他者に対して怒りを持って接してしまう」アタッチメントスタイルを持っています。そのために、身近に確かに存在する「支援の手」や「教えの手」に手を伸ばすことが出来ません。そうして、子どもの発達に疑問を持つようになって、はじめて助けを求める母親が多くいます。

パネルディスカッション

鎌田さんは、そうした母親のアタッチメントスタイルに合わせた対応を心がけているそうです。「人に助けを求められない」回避タイプの母親は、何でも自分で解決しようとして、泥沼にはまりがちです。そうした母親には、まず何でもいいから「そのお母さんが一生懸命やっているであろうことを褒める」ことから始めるそうです。例えば、お化粧バッチリして着飾ったお母さんが来たら、「お母さん、キレイにされていてステキですね。私の時なんか、髪の毛振り乱して子育てしていましたよ。ちゃんとされていてスゴイですね。」と声を掛けます。つまり、「お化粧バッチリで着飾ること」が本人にとって重要なことなので、そのことを褒めてあげることで、その人のアイデンティティ(その人存在)を認めることとなるのです。助けを求められない人は、「他者は私を認めてくれない、だから助けを求めてはいけない」という考えを根底に持っているので、この呪縛を解くには、存在を認めることから始める必要があるわけです。

あるいは、「人を拒んだり、他者に対して怒りを持って接してしまう」怒りタイプの母親は、コミュニケーションに怒りや否定の感情が伴いがちなので、「相手の怒りや否定的感情に乗っかる」ように接するそうです。これが最もやりやすいのは、「ダンナさんの悪口や愚痴が出てきた時」だそうです。その話に、共感してあげたり、一緒になって怒ったりして、その怒りの感情に乗っかってあげる(寄り添ってあげる)そうです。そこには居ない第三者に怒りの矛先を向ければ、こちらは、その怒りの対象に対する同志となるわけです。それによって、「私はあなたの味方だよ」というメッセージを伝えることから始めるそうです。

我々が、様々なお母さんと接するとき、お母さんのコミュニケーションスタイルを観察すると、大きく3つのタイプが見えてきます。一つは、受け答えが自然で、積極性も見られる「安定型」です。このお母さんは、自ら助けを求めたり、教えてと言えるので、問題ありません。残りの2つのタイプが、鎌田さんが指摘してくれた2つのタイプです。お母さんを観ていて、もし「これらのタイプかな」と感じたら、コミュニケーションに工夫を加えてみると、うまくいくかもしれません。この対人援助法は、育児セラピスト1級で学ぶコフートの自己対象体験対話法と同じものですので、受講された方は、この文脈で復習されると、理解が深まると思います。

お産の生まれる瞬間は、母になるためのイニシエーションです

パネルディスカッション

宝塚大学で助産師養成をしている小神野さんは、ご自身も助産師としてお産の現場に10年以上立たれ、300回以上のお産に立ち会われました。その現場の経験から、最近の妊婦さんの「生む力」が小さいことを指摘されていました。「生む力」が小さいお母さんは、お産に不安が大きく、お産の直前に怖気づいてしまい、なかなかお産が進まなかったり、難産になってしまったりすることが多いそうです。そうした妊婦さんは、昔に比べて圧倒的に増えているそうです。

そうした妊婦さんを見ていると、「欲しくて産むわけではない」、「たまたま出来てしまった」、「もう少し先でも良かった」、などという言葉が聞かれるそうです。つまり、「子どもを産む」ことに対して、自己決定がなされていないのです。この自己決定がなされないまま、お産を迎える妊婦さんが増えているというのです。こうした妊婦さんは、子どもが生まれてからも、母性が育ちにくく、母親としての自覚が持てないままに退院し、子育てを始めます。つまり、子育てにおける様々な問題は、妊娠期からすでに始まっている側面があるということを、指摘されていました。

これは、現場の方ならではの鋭い指摘です。確かに、昔は「子どもは天からの授かりもの」という考え方がありました。だから、予期しない、予定外の妊娠であっても、「点からの授かりもの」なので、ありがたく授かろうと自然に思い、妊娠期を過ごしていたのだと思います。つまり、自然と自己決定が出来ていたのでしょう。

しかし、現代では「お産は、授かりもの」という考えは薄くなり、「バースコントロール」つまり、「お産はコントロールするもの」になっています。

パネルディスカッション

「お産は、最終的には、妊婦さんがたった一人で向き合う覚悟が試されます。自己決定がなされていないと、これに耐えるのは難しいのです。」

私は、小神野さんこの言葉を聞いて、「赤ちゃんが生まれる瞬間」というのは、「母にとってのイニシエーション」なのだと気づきました。十月十日の妊娠期を通して、お母さんは産む覚悟を固めていく。そして、最終的に産むことを自己決定する。それは、出産後には「母になる」事への覚悟なのでしょう。この「イニシエーション」を乗り超えた妊婦は、産後に母となり、豊かな母性を発揮するのでしょう。最近は、産後の母性の芽生えが弱くて、赤ちゃんにあまり興味を示さないお母さんが増えている、とよく聞きます。その問題は、妊娠期から始まっているのかもしれません。

「出産はイニシエーション(母になるための儀式)なのである」ということに、今一度立ち還り、妊娠、出産の本来の意味を、再考することが必要なのではないでしょうか。

子育てに対する無知に、保育士はどう対処すればいいのか?

パネルディスカッション

保育士である爲谷さんは、以前勤めていた園での経験を話してくださいました。それは、ある親御さんから「先生、この子をどのように調教すればよいでしょうか?」と聞かれ、「調教」というあまりにも不適切な言葉に対して、有効な反応が出来ずに、ただその場しのぎのそつのない言葉で返してしまったという経験でした。

その親御さんに悪気や虐待傾向があった訳ではなく、ただ「子どもを調教する」という言葉遣いをされていただけです。しかし、「調教」という言葉の背景には、厳しい躾(しつけ)や恐怖で従わせる態度が見え隠れします。そして、保育園の先生に純粋な質問として投げかけていることからして、この親御さんにとって、「子どもは調教するもの」だという考えが当たり前にあるのでしょう。もしかしたら、親御さん自身も、調教の言葉のもとに、調教されて育ってきたのかもしれません。あるいは、そうした考えの書籍を読んで、それを信奉されているのかもしれません。

しかし、誰に聞いても、「子どもは調教するもの」という考えには、どのように肯定的な文脈を想定したとしても、やはり否定の立場をとることでしょう。それと同時に、この親御さんを悪者扱いする人もいないと思います。つまり、これは「親の無知」の問題なのです。本人は良かれと信じてやっていることが、明らかに間違った行動である、というのは、「無知の成せる業」であり、子育てにおいては、最も不幸なことなのです。

爲谷さんのこのエピソードは、とても明らかな例ですが、子育て支援や保育、看護の現場や子育ての現場では、この「親の無知」問題は、数えきれないくらい起きているのは、冒頭で鎌田さんが指摘してくれた通りです。そして、その影響は、子どもの発達に歪みとデコボコをもたらすこともある程のものです。

爲谷さんは、「それでも、向こうから言って来てくれる人は問題ない」と言います。そうした「無知」があっても、それを指摘したり、修正したり、アドバイスしたりする余地があるからです。こちらの言葉に耳を傾ける気があるのです。

パネルディスカッション

こうした「親の無知」についての現場の事例を会場に求めてみました。すると、一人の保育士さんが手を挙げてくれました。その方の事例は、「保育士の無知」でした。1歳なりたてのある園児が、他の子に噛みついたことがあります。それに対して、この園児の担当の大学出たての新米保育士は、犬でも叱るかのように、園児のあごを掴んで、「噛みついちゃダメって言ってるでしょう」と怒鳴りつけていたそうです。見るに見かねたその方(ベテラン保育士)は、「その対応は、やり過ぎだ!下手をすれば虐待だよ」と新米保育士を注意したそうです。しかし、新米保育士は「何が悪いの!」とでも言いたげな表情で、不服そうにするばかりだったそうです。

これも、「保育士の無知」です。この新米保育士自身も、子どもの頃このような躾をされて育ったのかもしれません。あるいは、この人の師匠が、このような厳しい躾をよしとする考えの持ち主で、そのように教育されたのかもしれません。いずれにしても、「無知」が産む悲劇です。

本来、0・1・2歳児の問題行動は、それを正したり、叱ったりするのではなく、その場は「気をそらす」ことで止めさせるのが基本です。そこで叱っても問題行動はなくなりません。ただ「恐怖」が子どもの心に残るだけです。この例で言えば、「あごを掴まれ、怒鳴られる」経験は、その子のトラウマとなります。それは、保育ではなく虐待です。そして、「噛みつき行動」への根本対処は別で考えます。そもそも、噛みつきは、満たされない欲求による衝動です。衝動なので、そこに恨みや仕返しなどの因果関係は存在しません。この衝動を満たしてあげるのは、「安心の気持ちを与えてあげること」です。これに対して保育士さんが出来るのは、一杯抱っこしてあげることや、ベビーマッサージなどです。そうして、安心の気持ちに満足してくれば、噛みつき行動はおさまります。叱っても、怒鳴っても、あごを掴んでも、おさまらないのです。

医療に心理の視点を入れることの大切さとむずかしさ

パネルディスカッション

本郷さんは、近畿大学病院のお医者さんであり、2歳児の子を育てるワーキングママでもあります。本郷さんのお話の中で、とても興味深かった話題があります。本郷さんは、泌尿器科の専門医です。泌尿器科というのは、大人がかかることが多いのですが、夜尿症などで子どもがかかることもあるそうです。こうした子どもの夜尿症の場合、疾病が原因であることはほとんどなく、多くの場合、心の問題が原因しているそうです。しかし、医師は、体のことについては、専門科に関わらず一通り学んでいますが、心のことについては、症状や症例しか学びません。そのため、医師と言えども、こうした心理のことについては、ほとんど知識がないのだそうです。

そうなると、結局のところ、夜尿症を止める薬の処方をすることは出来ますが、それは根本対処にはなりません。そのため、根本対処のためには、心理面のケア機能をもった小児専門の科に行くことを薦めるそうです。実は、泌尿器科の場合、これは子どもにだけ言えることではないそうです。若年層の頻尿や尿漏れの相談が多いそうなのですが、それらの多くは、ストレスや不安などの心理的問題が原因しているそうなのです。

そうした背景で、最近では、「医療は心理とともに扱う」という考えが出てきており、心理の知識を、診断や診療に役立てようとする医師も出てきているそうです。しかし、まだまだ、そうした考えは少数派であり、また、心理相談とともに行う医療には、制度も追いついていないのが現状だそうです。

パネルディスカッション

そんな本郷さんは、医師として、子を産み育てることの難しさも指摘してくれました。というのも、医者は、医学部卒業が最短で26歳、卒後2年は研修医として働き、その後、各診療科を専攻し、外科系なら一人前になるまでに10年かかるそうです。つまり、36歳頃になって、ようやく一人前になるそうです。女性にとっては、この時点で、高齢出産の年齢になってしまうのです。しかも、外科系は、技術職なので、ブランクを空けてしまうと、復帰は出来ません。実際に、本郷さんも、産後8週間で現場に復帰したそうです。また、外科系の医師は、手術後に安定したことを確認するまでは帰れず、その後も、患者さんの容態次第で緊急手術や検査・処置が入ることもあります。また、通常業務に加えて、当直や自宅待機当番などもあるので、子育てをしながら医師を続けることには、われわれの想像以上に大変なことのようです。

大阪の病院で女性の小児科部長が、入職予定だった女医の妊娠発覚で非常勤を勧めたところ、それはマタハラではないかと問題になったニュースを例にあげ、10年以上現場でやってきた女医から見ると、この部長先生の意図や必然性が理解できるし、一言で「マタハラ」と言って片づけられる問題ではないのではないか、とおっしゃっていました。

他者に対して「噛まれたら痛い!」と感じる機能が育っていない大人

パネルディスカッション

乳児院と母子寮の2つの施設を統括する島田さんは、福祉の最前線で、とても深刻な現実と毎日向き合っておられます。例えば、母子寮に入ってきたお母さんで、子どもは小学校低学年、自閉傾向のある発達障害児ですが、このお母さんは、これまでに何度も、子どもを置いて男性と出て行ってしまい、捨てられて戻ってくるということがあったそうです。母子寮なので、子どもが放置されることはありませんが、安定しない(居たり居なかったりする)養育者のもとで育てられたこの子の発達に支障が生じているのは、成育歴に他なりません。この小学生の子どもは、不登校なのですが、その子は、「自分が居ないと、お母さんがまた出て行ってしまうから、見張っていなければいけない。だから、学校には行けない。」と言うのだそうです。しかし、このお母さんも、母子家庭で、同じような養育態度を受けて育ち、母親との愛着関係に傷をもって生きているのです。

このような親子が自立するためには、並大抵なことではありません。このような親子と日々向き合っている島田さんが、先の保育士さんの「園児の噛みつきに対する新米保育士の虐待行動」の件に対して、新しい視点を指摘してくれて、会場が「なるほど!」という納得の渦に包まれました。

「虐待をする人というのは、『噛まれたら痛い』ということがわからないのです。本来、噛んだ子を叱ることよりも、噛まれた子を慰めるのが良識ある大人の対応なのですが、虐待をする人というのは、暴力をふるった時の、相手に起こる痛みや恐怖がわからないのです。だから、『噛まれたら痛いんだよ』『暴力をふるったら、相手は痛くて、とても怖い思いをするんだよ』と教えてあげることから始めなければいけないんです。

その上で、その虐待する人が些細なことでも出来たら、例えば、子どもの頭を撫でてあげられただけでも、それを褒めてあげることが必要なんです。」

パネルディスカッション

島田さんの指摘は、「心の理論」といって、他者の心や状態を理解する力なのですが、発達に歪みがある子どもは、この心の理論に困難を抱える傾向があります。ですから、園児の噛みつきに虐待行動で応じた新米保育士にも、まず、この心の理論を教える必要があったのかもしれません。少なくとも、この人は、二重の意味で虐待者となっています。一つは、「噛まれた園児の心のケアをしないで放置したネグレクトの虐待」、もう一つは、「噛んだ園児のあごを掴み、怒鳴った暴力の虐待」です。

「噛まれた園児は痛かったんだよ。そして、それを慰めて欲しかったんだよ。」

「それと、噛んだ園児も、あなたにあごを掴まれ怒鳴られて、痛くて怖くて、心に傷を負ったんだよ」

それを教えた上で、日常の保育の中で、その保育士が些細なことでも出来ていることがあったら、それを褒めてあげることで、自尊感情に働きかける。この保育士には、こうした対応が必要なのかもしれません。もちろん、それと同時に、この保育士の「無知」を補うための「教育」も必要不可欠です。

このように自尊感情の育っていない若い保育士に対しては、『養育(心のケア)と教育』の二本立ての対応が必要なのかもしれません。

低出生体重児の親に発達の話をするときに、月齢との相関をうまく伝えられない

パネルディスカッション

パネリストからの問題提起の後は、会場の参加者の方から問題提起を募りました。会場からは出ないかと思っていましたが、さすが大阪です。心配は杞憂に終わりました。子育て支援の中で、お母さんに発達のお話をしている方からの質問で、

「お母さんの中に、低出生体重児のお母さんがいるときに、月齢をからめた発達の話をすると、嫌な空気が流れて、曽於お母さんには、あまり話に満足してもらえないことが多いのですが、何かうまい伝え方はありますか?」

というものでした。この問いに対して、島田さんがソーシャルワーカーとして答えてくれました。低出生体重児の場合、「修正月齢」というのを使います。低出生体重児のお母さんは、わが子の修正月齢を保健師さんなどから聞いて知っている方も多いので、まずはそれを聞きます。もしお母さんがわかっていない場合には、どれくらい早く生まれて何グラムで生まれたかを聞いて修正月齢を割り出します。そして、その修正月齢で話をしたり、お母さんにも、修正月齢で見るように教えます。

また、臨床心理士の鎌田さんからは、こんな意見も出ました。低出生体重児のお母さんは、それを想起させる「小さい」とか、「遅い」とか、「まだ~」といった単語にとても過敏になっていることも多いです。だから、最初から月齢には触れないで話をするのも手です。月齢ではなく、段階で捉えて話をすれば、無暗に早い遅いという不安を与えることもありません。数字は、わかりやすい指標である反面、時にお母さんを不安にさせます。これは、低出生体重児のお母さんだけではなく、すべてのお母さんに言えることです。

以上でパネルディスカッションを終了し、最後に、アタッチメントの重要性と可能性、そのための親への教育、大人への教育の重要性を全員で確認し合いました。

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