子育て支援事業としてのベビーマッサージ教室を振り返る

「ベビーマッサージは、日本アタッチメント育児協会 “以前”と“以後”で語ることができる」

ある子育て支援を専門とする大学教授からの言葉です。

確かに当協会は、2007年の設立以来、「子育て支援としてのベビーマッサージ」をけん引してきました。そこで、17年経った今年(2024年)までを、あらためて振り返ってみました。

創世記のころ、ベビーマッサージはマッサージだった

日本アタッチメント育児協会 “以前”に、ベビーマッサージ資格を発行する団体は、私が知る限り、既に2つは存在していました。ひとつは、わが子に行うか、ママ友たちの間でプライベートに行われるものでした。インストラクターというよりは、むしろライフスタイルのような位置づけだったのでしょう。もう一つは、看護師を中心に院内で母親教室の延長として行われていました。こちらは、医療現場という場に特化したものでした。

両者に共通して言えたのは、当時はどちらも、ごくごく限定的でプライベートな場であり、インストラクターのまわりだけの“知る人ぞ知る”的な活動だったということです。

この当時のベビーマッサージというと、まだその名前も知られておらず、スキンシップの延長線上で語られ、マッサージそのものによる効果が前面に謳われていました。そのため、医療分野を背景にしたものは、マッサージのやり方や順番が非常に重視されていました。また「Bonding(ボンディング)」という医療分野寄りの言葉で表現され、その訳語として「絆」という言葉が多用され、まさに創世記といった様相でした。

「子育て支援と言うけど、わたしたちは何をすればいいの?」

日本アタッチメント育児協会 “以後”になって、ベビーマッサージは、一機にメジャーなものになっていきます。これは当協会の存在よりも、むしろタイミングの影響が大きかったと言えます。

ちょうど当協会設立と同じ2007年は、それまで別々に実施されてきた「地域子育て支援センター事業」と「つどいの広場事業」が一本化されて「地域子育て支援拠点事業」となった年です。その後2009年には、保育所などと同じ第二種社会福祉事業として扱われるようになりました。小難しい話を抜きにすると、要するに厚生労働省が本腰を入れて子育て支援に取り組むようになったということです。

実際に、保育園に子育て支援センターを併設するように国からお達しがあり、それが各市区町村に降りてきて、「子育て支援センターつくるから、何をやるか考えておいて」と現場の保育士に降りてくるようになったのは、ちょうどこの頃のことです。

わたしが当時アタッチメント・ベビーマッサージ講座に登壇していたときに、こうした話を保育士の受講生からよく聞いていました。同時に、児童館や乳児院などの職員さんが、「上からのお達しで『ひろば事業』をやることになった」という話も、よく聞いていました。つまり、わたしの当時の実感とも一致します。

この流れは、2024年の今でも続いています。当時は0~3歳と言っていたのが、今では0歳となり、さらに0~3か月へと対象が絞られて、厚生労働省の方針である「切れ目ない子育て支援」の流れも手伝い、子育て支援はより早期へとシフトしていきます。

こうして子育て支援事業は、国からのお達しによって全国の市区町村で活発に展開されるようになりました。しかし、現場の当事者は困り果てました。

「箱は用意されたけど、わたしたちは一体何をすればいいの?」

ベビーマッサージは、心理学で語られるようになった

インターネットが普及した背景も重なり、ネットを検索して、「何をすればよいのか」の答え探しが始まります。そこで保育士をはじめとする多くの専門職たちの目にとまったのは、「アタッチメント・ベビーマッサージ」でした。彼女たち・彼らにとっての決め手は、「0歳から、赤ちゃんとお母さんが取り組めること」と、「“アタッチメント”という心理学の学説に根拠を置いていたこと」の2点でした。保育士と同様に、“アタッチメント”に惹かれたのは、看護師・助産師・保健師でした。

こうしてアタッチメント・ベビーマッサージを受講したのは、厚生労働省の思惑などに関係なく、「お母さんたちに寄り添いたい」という“みずからのモチベーション”に突き動かされる人たちでした。その思いに応えたのが、心理学としてのアタッチメント理論に基づくベビーマッサージであったということです。それは、今も変わっていません。

大学カリキュラム導入で、ベビーマッサージの社会でのポジションが変わった

こうした純粋な思いに突き動かされる現場の保育士たちの姿を見て、同じひとりの受講生として感銘を受けたのは、当時、淑徳短期大学の准教授をしていた細井 香先生(現・東京家政大学 教授)でした。

「自分の大学の学部生たちに、卒業時にこの知識と資格を与えることで、保育現場に出たら、子育て支援の即戦力になってほしい!」

細井先生の尽力により、日本で最初にベビーマッサージ資格を大学カリキュラムに導入したのが、淑徳短期大学(当時名称)でした。それから宝塚大学、淑徳大学教育学部(四年制)、そして保育の名門である東京家政大学子ども支援学部にまで道がつながりました。

こうして、大学カリキュラムに導入されたことによって、「アタッチメント・ベビーマッサージ資格」や「育児セラピスト資格」が、保育士資格や幼稚園教諭資格とともに社会的に認められるようになり、職業として認知されるようになりました。

ベビーマッサージは、子育て支援の主役となった

かくして、子育て支援事業としてのベビーマッサージ教室は、すっかり主役となり、全国津々浦々にまで広がりました。この流れをけん引したのは、間違いなく当協会のンストラクターたちです。それは、彼女たち・彼らが育児セラピストの知識を背景に、お母さんたちの“育児の悩み相談”に乗っていたことが、大きな要因となっていたのでしょう。

なぜなら、それこそがお母さんたちがベビーマッサージ教室に、何度もリピートで通う理由そのものだからです。最初はベビーマッサージを習いにきます。しかし、やがて教室に通う目的は、おしゃべりと悩み相談にかわってゆきます。だから、子どもが1歳を過ぎてベビーマッサージを卒業しても、お母さんたちは教室をやめたがりません。そこでインストラクターたちは、キッズマッサージやアタッチメントジム、あそび発達などより対象年齢の高いアクティビティへとメニューを広げ、お母さんたちとより永い関係性を持つようになります。

このように当協会の講座のラインナップは、受講生のみなさんからの現場の声を反映したものです。そうして、わたしたちと現場のみなさんが、講座を通して対話して作りあげてきました。わたし自身にも、その実感が大いにあります。

親子教室をとおして、インストラクターを中心としたママコミュニティを形成し、育児の悩み相談やおしゃべりの場を提供する。

こんな子育て支援を現場で実践できているのは、みなさんをおいて他にはあり得ません。全国で、子育て支援事業としてのベビーマッサージ教室を引っ張って、手本を見せてきたのは、間違いなくみなさんです。振り返ってみて、わたしは、あらためてそう思っています。

子育て支援を変えるのは、現場のわたしたちです

最後に、世の中を変えるのは、国でも政治でもありません。子育て支援を変えるのは、厚生労働省でも子ども家庭庁でもありません。

はじまりは、いつだってわれわれ現場です。われわれが始めたことが、いつしか小さな波を起こし、やがてそれがムーブメントになり社会を変える。われわれが、ベビーマッサージ教室を通して、子育て支援で成し遂げたのは、まさにそういうことだと思っています。

一般社団法人日本アタッチメント育児協会
理事長 廣島 大三

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