育児セラピスト座談会 vol.8「後伸び力」は、どうしたら育つ?

自己紹介

今回は、わたし廣島の他に、5人の方々にご参加いただきます。

一人目は、群馬県高崎市から参加の本郷容子さん。子ども英語教室をやられて30年、育児セラピスト歴10年のベテランです。

つづいて、大阪から参加の権かおりさん。音楽教室を運営されていて、乳幼児にはリトミックとアタッチメントジムを組み合わせたクラスを展開しています。当協会の認定講師として、講座に登壇もしていただいています。

続きまして、栃木県から参加された添田優希さん。5歳のお子さんのママで、助産師をされています。

4人目は、埼玉県からご参加の岡本章子さん。1歳8か月のお子さんのママで、これから育児セラピストとして、地域のママと交流し発信していく展望をお持ちです。

5人目は、兵庫から参加の竹安雄一さん。Men‘sゴレンジャーのレッドとしてブログを発信する小1と小2のパパです。もともと小学校の先生で、現在は教育委員会にお勤めです。

いつから「後伸び力」という言葉が注目されるようになったの

この「後伸び力」という言葉は、いつごろから注目されるようになったのでしょうか?調べてみると、2004年に文部科学省の幼児教育に関する部会で「後伸びする力」という表現が使われていました。その意味は、早期教育とか先取教育の逆側の意味合いで、生涯にわたる学習意欲や学習態度の基礎、好奇心や探求心といったものを意味していました。その後2014年ごろからダイアモンド誌やプレジデント誌の教育に関する特集で取り上げられ、2020年ごろから、学習塾や教材、習いごと、お受験、あるいは保育園や子ども園の保育方針などのなかで、注目のキーワードとして使われるようになりました。また、その内容から、非認知能力と同義語であつかわれることもあるようです。

「後伸び力」って、どういうものだと認識していますか?

添田さんは、この言葉をワードとしてというよりは、「いまはできなくても、その後いずれ出来るようになるから、慌てることないよ」という意味合いの表現として理解していたそうです。本郷さんは、30年以上にわたってお母さんと接してきて、お母さんが「いま出来ること」にばかり目が行って、「ほかの子と比べて」しまったりするたびに伝えてきたことが、この「後伸び力」という言葉に集約されると言います。「いまは開花しなくても、中学かもしれない、大人になってからかもしれない、その子によって違うんだよ。」そのときに、“Leo the late bloomer” という絵本を読んで聞かせるそうです。これを受けて「子どもの間だけではなく、大人になってから伸びるというのも、後伸び力なんだと思いました」と竹安さん。

権さんは、音楽教室では「後伸び力」を日々実感するそうです。「最初、やらされているうちは弾けてるんだけど、それだけの演奏になってしまう。それが、何年かして自分の意志で『やりたい!』、『やろう』となった後に、めきめき伸びる子がいます。」しかし、親の期待と、本人の意欲は、なかなか折り合わないのが現実です。親御さんは、「通わせたらできるようになる」と思っています。そういう親御さんに、このことを伝えています、と権さんは言います。

これについては、英語教室の本郷さんも、まったく同意見でした。また、ご自身の子育てにおいても、権さんはこの「後伸び」という言葉に助けられたと言います。息子さんは、感受性が高くマイペースだったので心配したそうです。そんなときに、ある占い師の先生に、「この子は後になって伸びますよ。」と言われたことや、小学校の時には、辞書が好きで、そればかり読んでいた息子さんをみて心配していたら、当時の担任の先生が「とてもすごいことですよ。この子はこれから伸びていきますよ」と言われ、とても気持ちが楽になったそうです。いま思えば、その頃から「後伸び」という言葉に支えられていました。さらに、「非認知能力」について、育児セラピスト後期課程(1級)で学んだときに、こうしたことすべてが、理論と実感の両方で理解できた気がします、と権さん。

岡本さんは、他の方の話を聴いていて、ご自身の子育てをする上で、「待つ」こと、「信じる」こと、「許す」こと、その先の子どもの成長とともに「見守る」ことを、あらためて大事にしていきたいと思ったそうです。

「後伸びない力」になってしまうのって、どんなとき?

この「後伸び力」ですが、もともと文部科学省が、幼児教育の文脈で、早期教育や先取学習に警鐘を鳴らすものとして提言したものです。しかし、それが“注目ワード”として認知されるようになって、いつの間にか「ラベル」として使われるようになってしまったと、わたしは感じています。これは、「非認知能力」にも、同じことが言えます。

これらをラベルにすると、「よい教育」「理想の教育」という意味付けができます。しかし、その中で言っていること、やっていることは、「後伸び力」でも「非認知能力」でもない、ということが、ネットを見ているとあまりに多いです。

これは、とても日本っぽいなと思うのです。政治にしても、教育にしても、表面上は「よい言葉」でラベリングされます。しかし、中身はまったく逆の指向になっている。それなのに、なんとなくラベルのイメージのとおりに、世間では受け入れられてしまう、という現象です。

これについて、竹安さんは、「後伸びない力」という視点を提示してくれました。親御さんが、やり過ぎてしまったり、子どもに自分の期待を押し付けてしまった時に、ラベルはそれを正当化してくれる働きがある。しかし、それは「後伸びない力」にしかならない。自分も親として、気を付けなければいけない、といいます。

私がいま、ちょうど作っているスキルアップ講座のなかに、「親御さんにしてほしい3つの覚悟」というのがあります。そのひとつに「子どもが中学に上がるまでは、成績がパッとしなくても、気にしないでいられる覚悟」というのを挙げています。これ、「後伸び力」という文脈で、スゴク重要です。小学校のあいだは、勉強よりもむしろ、自由にやらせてあげて、いろんな体験を積んでもらいたいのです。極端な話、それが塾や習いごとでもかまいません。そこで、点数だとか、できた・できないとか、成果や結果を求めるようなことをしないことが大事です。それをやってしまうと、「後伸びない力」になってしまいます。小学校時代に、子どもに自由に体験を重ねさせてあげられると、中学・高校に入ってから、そうした体験をバネに、ガツッと勉強が伸びます。それも「後伸び力」と言えるのではないでしょうか。

これを聞いて、岡本さんは、「道徳心だけは忘れないで欲しい。それ以外は、なんでもOKと思うようにしている」と言います。

添田さんは、助産師なので、知識がありすぎて、子どもが0歳のころは、「こうでなければいけない」ということに縛られた子育てをしてきてしまったと振り返ります。仕事がら、ほかのお母さんには、「待ってあげれば、大丈夫だよ」と心から伝えているのに、自分の子どものことは待てなくて葛藤があると言います。たとえば、5歳の息子さんに対して、「先取り学習」や「早期教育」にあたるようなことでも、「本人が興味を持ってくれているんじゃないか」と親目線では思ってしまう。「やってみる?」と聞くと、「やってみたい」「たのしい」と言ってくれるから、やらせています。一方で、後伸び力の話を聴くと、「これでいいのか」とも思ってしまうと言います。

幼児期だけじゃない!発達心理学で語る「後伸び力」とは?

そもそも、心理学で言えば、人は、生涯にわたって、発達をつづけます。発達においては、生涯にわたってつねに、「後伸び力」が機能しています。育児セラピストの講座の中でも発達段階というのがあります。エリクソンのライフサイクルでは、乳児期・幼児期・学童期・思春期・青年期・成人期・中年期・老年期などと分けられます。これらの発達段階の一つ一つは、すべて「後伸び」によって成立しています。つまり、今やっていることが、カタチになるのは、いつも10年後だということです。たとえば、乳児期に大事なのは「基本的信頼」です。それがその子の実生活で積極的につかえるようになるのは、10年後だということです。つまり、中学に入るころになって、立ち直る力とか、共感力とか、知的好奇心といった「基本的信頼」の産物を実際に活用して、後伸びするわけです。どの発達段階をみても、この原理は変わりません。発達は、つねに「後伸び」によって、その力を発揮します。発達課題ができているか、できていないかは、その時には問題じゃないのです。10年後にそれが達成されていたのかどうかによってわかる、というものです。

人生で、「後伸び力」を感じた瞬間

こんな風に考えてみると、「後伸び力」というものが、もっと広い意味で捉えられるようになります。そこで、人生をとおした「後伸び力」について、みなさんの経験を聞かせてもらいました。

本郷さんは、10代のころの話をしてくれました。「いちど、警察のお世話になってしまったことがありました。母は、とても厳しい人だったのですが、その帰り道で、何も言わずに、ただ私に寄り添って歩いてくれました。その時は、母の気持ちも、なぜそうしてくれたのかもわかりませんでした。ただ、母がそうしてくれたことは、当時のわたしにとって救いになりました。

その後、親になり、教室を始めるようになって、自分の娘や生徒と接するなかで、あの時の母の気持ちや、母が伝えたかったことが分かった気がしました。」というエピソードを話してくれました。岡本さんも、10代のころ警察のお世話になった話をしてくれました。「そのとき母は、わたしに対して、すごく否定的な態度をとりました。母は、わたしを18歳で産んで、まだ自分も若かったこともあったのだと思います。でも、それを見ていたおばあちゃんが、わたしを全面的にかばってくれて、本当に救われました。おばあちゃんは、母の母親らしからぬ態度を、本当に申し訳ないと、わたしに平謝りしました。わたしは、おばあちゃん子で、おばあちゃんが、いつも面倒を見てくれていたので、その大好きなおばあちゃんに、こんな悲しい思いをさせちゃいけないと、そのとき思いました。いま、自分が親になってみて、このさき、もし子どもが道をはずすようなことがあっても、あのときおばあちゃんがしてくれたみたいに、全身全霊で子どものことを守ってあげられるなら、子どもには自由になんでもさせてあげよう、という覚悟になっています。」

まとめ:「後伸び力」を上げるために必要なのは?

これまでの、みなさんと話をして、体験談を聞いてみて、「後伸び力」を発揮するためには、何が必要なのかが見えてきた気がします。それは、「子どもを、まるごと信じきって、見守って、待ってくれる大人」の存在が重要なのだと思います。それは、なにかしらの困難な状況や、ネガティブな出来事や事件の時にこそ問われます。そのときの大人の態度が、その子の「後伸び力」を方向付けるのだと思います。

警察沙汰になった出来事でさえ、後伸びの種になり得るということです。あるいは、テストや試験、大会など、結果を問われる様々な場面で、良い結果がでなかった時にこそ、「後伸び」のチャンスなのかもしれません。そういうときこそ、その瞬間の結果だけを見るのでなく、それまでのプロセスに注目して「いま一生懸命やっていること(やってきたこと)は、このさき何年も後になって、あなたの成果として必ず現れることをわかってるよ」と、心から言ってあげられることではないでしょうか。

わたしの娘は、二人とも小学校の成績は、5段階評価で「1・2・3・1・2・3・・・」でした。それでも、わたしに焦りや心配はありませんでした。いま必要な発達課題は、ちゃんと充分にやれている。それだけで充分でした。そして、中学に入って、発達課題に勉強が入ってきたときには、一気に伸びると信じていました。いや、むしろわかっていました。
こんな風に、子どもの「いま出来ること」や「いまの成果」に一喜一憂するのでなく、子どもを信じて、5年先・10年先の成長をつねに楽しみにする。そういう存在が、たった一人でもいてくれることで、その子の「後伸び力」は、グッと上がるのです。

育て方は、こうするとイイ、こういう言葉かけをするとイイ・・・いろいろありますが、最終的に重要なのは、やはり「人の存在」にかかってくるのだと思います。それは、親であることは多いでしょうし、おじいちゃんやおばあちゃんでもいい、学校や塾や習いごとの先生でもいい、子育て支援の方でもいい、その子の10年先を信じてあげられる大人の存在が、カギなのだと思います。みなさんの話を聞いて、今回の「後伸び力」は、そんなところに落ち着くのではないでしょうか。

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