育児セラピスト座談会 vol.2 「発達が気になる子」
2 月 25 日(金)に YouTube 生配信を使って座談会を行いました!
今回の座談会について
テーマは、「発達が気になる子」です。このテーマについて興味のある方、問題意識を持っている方、悩みや疑問をもっている方に手をあげてもらい、今回の7人のメンバーとなりました。男性4名、女性3名、分野もさまざまの 7人の育児セラピストたちです。
座談会に参加したみなさんの自己紹介
ファシリテーターを務めさせていただいたのは、日本アタッチメント育児協会 理事長の廣島 大三です。早速、7人のメンバーをご紹介します。
秋田市から参加の高橋さんは、小規模認可園と学童保育を経営しています。保育園の園児から、学童の小学生まで、さまざまなお子さんと接するなかで、今回のテーマは関心があり、いろんな方の意見を聞いてみようと参加されました。
広島市から参加の尾尻さんは、元保育士で、発達コーディネーターをつとめた経験もあります。ご自身の現場での経験を、なにかしら役に立てていただけるのではないかと考えて参加されました。
埼玉県から参加の小林さんは、病院勤務の作業療法士として療育にたずさわる 3 歳児のパパです。保育をはじめ、さまざまな立場の方の意見を聞いて、現場に活かしていきたいという思いで参加くださいました。
兵庫県から参加の竹安さんは、小学校教師で、現在は教育委員会にお勤めです。特別支援学級の担任の経験もあり、知的障害のある娘さんを育てるパパでもあります。今回は、教育者としてだけでなく、発達が気になる子の父として、当事者の意見も発信できたらと考えての参加です。
横浜市から参加の長田さんは、保育士をするかたわら、子育てサロンを運営されています。保育の現場では、年々重みを増していると日ごろから感じているテーマだったので、ぜひ話に参加したいと思ったそうです。
千葉市から参加の松浦さんは、MR(製薬会社の医療情報担当者)として病院とかかわる会社員として、パパの立場から子育て支援を考え、ベビーマッサージ教室を開催する異色のベビマ・インストラクターです。ご自身も2人の子どものパパとして、今回のテーマはぜひ勉強したいと考えてのご参加です。
奈良県から参加の佐伯さんは、中学校の社会科教師で、1 年間フル育休をとって、奥さんとバトンタッチで、一年間ワンオペで家事と育児をこなした経験をもちます。ご自身の子どもに対してだけでなく、中学校の生徒においても、大切なテーマだと思い参加くださいました。
以上、分野も動機もさまざまの 7人で話が繰り広げられました。
わが子の発達障害について、他の方や子どもたちにどのように伝えますか?
今回の参加者の竹安さんと松浦さんから事前に質問をいただいていました。この質問を取っ掛かりとして、話を広げることにしました。
まず、竹安さんの質問です。
『6 歳の娘には知的障害があります。そのため、みんなと同じようにいかなかったりすることもあります。そうしたときに、子どもたちや、親御さん、保育園の先生に、わが子の特徴をどんな風に、どこまで伝えたらよいでしょうか?
たとえば、ほかのお友だちのことを引っ張ってしまったとき。「引っ張っちゃってゴメンね!」と親がその子に謝るだけだと、子どもが悪さをしたことになってしまう。本当はその子のことが大好きで、その表現として引っ張ってしまったことを伝えたい。』
竹安さんのこの思いは、当事者の親ならではのものだと思いました。わたしは、ブログや雑談などを通じて竹安さんの普段の子育てを垣間見ています。そのうえで、最初に感じたのは、「そのままでええがな!」です。竹安さんは、子どもの苦手なことは苦手、出来ないことはできないと、そのまま言います。同時に、その子の良いところも良いとそのまま言います。出来ないことを “ 出来る風 ” に言ったりしません。逆に、良いところを謙遜したりもしません。基本的にこれが一番うまくいくと思います。
保育士の長田さんは、子どもたちは、とても柔軟で、ちゃんと伝えればわかってくれる、と言います。同じく保育士の尾尻さんも、(竹安さんのように)その子の「大好きだからやってしまった」という思いを代弁してあげることは、重要だと指摘します。
“ 伝わりきらなかった思い ” に、大人がちゃんとフォーカスしてあげる。それを丁寧に(引っぱられた)子どもに伝えることで、悪かったのは「引っぱる」という表現方法であって、(引っぱってしまった)子どもが悪いわけではないことは、子どもにも、親御さんにも伝わります。保育士さんは、そのことをちゃんとわかってくれているということでしょう。
「叩く」が、大好きな人へのコミュニケーションになってしまっている子
この話に関連して、保育と学童の現場をもつ高橋さんが、話をしてくれました。以前、同じように、大好きな子のことを叩いてしまって、園児の頭にコブができてしまったことがありました。保育者としての高橋さんは、(叩いてしまった)子が、“ 発達が気になる子 ” だと認識していたため、「大好きだから」やってしまったと理解し、(叩かれた)子どもに、「ごめんね」とともに、「大好きだよ」の思いを伝えることで、子ども同士の関係性は収まりました。ところが、(叩いてしまった)子の親御さんは、わが子が “ 発達が気になる子 ” だとは、思っていないし認めようともしません。そのため親同士は「叩いた・叩かれたの構図」でギクシャクしてしまいました。その後も、その子の大好きな子へのコミュニケーションの方法は「叩く」だったので、大きくなればなるほどトラブルは深刻化したそうです。
中学校教師の佐伯さんは、同じことは、中学校でも非常に多く起こっていると言います。そして、親御さんに認識がない場合、どうにも難しいそうです。そうしたケースで佐伯さんは、親御さんよりも生徒のほうへ働きかけるそうです。その際「事件が起こる」ことを待つそうです。それを、他の生徒たちにも考えさせるきっかけにして、問題行動のある生徒の特長を理解するように導く。事件が早く起これば起こるほど、クラスの運営は円滑になるそうです。教育は、タイミングがすべてです。この「事件を利用する」というアプローチは、子育てにも通じます。何も起こってないのに言うと、ただの説教や道徳で終わってしまうことも、事件を利用すると、体験として響きますし、腹落ちもします。
発達が気になる子を、どこまで区別する必要があるのでしょうか
今回の参加者の松浦さんからの質問です。
『育児セラピストを学ぶなかで、発達障がい児と他の子どもを、(どうしても必要なこと以外は、)なるべく区別する必要はないと考えています。しかし、知人の小学校の先生の話を聞くと、昔(10 ~ 20 年前)なら、普通学級に入っていたような子も、いまは特別支援学級に入ることが多くなっていて、現場では、どうしても区別せざるを得ないと言います。この「区別」というキーワードで、みなさんのご意見を聞きたいです。』
尾尻さんは、保育園のなかに「その子の落ち着く場所」をつくってあげることを大事にしてきたそうです。発達が気になる子ほど、「環境」が大事だと実感していると言います。「落ちつける環境」、「ひとりで集中して遊べる環境」、「みんなで遊べる環境」など、環境設定を意識して、子どもたちが必要な環境で時間を過ごせるようにするそうです。
発達障がい児の場合、この「環境」の好き嫌いが明確です。それを意識した環境設定を保育者が行うことは、「その子が自分の心地よい環境を選べる」というカタチでの区別といえます。
小規模認可園の高橋さんは、こうしたきめ細かい対応をしようにも人手が足りないことを指摘してくれました。たとえば、発達障害の確定診断があれば、保育園でも加配というヘルプ保育士をその子につけることができます。しかし、グレーゾーンには、つけることができない。そうなると、圧倒的に多いグレーゾーンの子どもの対応に、保育士の手が足りない現状があると言います。
作業療法士として療育にたずさわる小林さんは、「差別はダメだけど、区別は必要」だと言います。目の悪い子が、前の方に座るとか、引っ込み思案な子が、実行委員にならないようにするとかいったことです。みんな同じことを出来る必要はなくて、得手不得手があるのが当たり前。大人がそれらをくみ取って導くような「区別」は必要ではないか。
「学校では、この区別のことを『合理的配慮』といいます。」と佐伯さん。中学校の実際の例で言うと、授業中に「立ち歩いてしまう」生徒がいたときに、これを「認めてあげる」という合理的配慮をしたことがあります。通常は、みんなが静かに座ってノートを取っていることが良いことです。ところが、「立ち歩く」ことを OK にした授業では、環境が変わるわけです。立ち歩く中で、教え合ったり、話し合ったりすることも生まれます。この環境では、静かに座ってノートを取っている子がダメの烙印を押されることもあります。「よい」「わるい」の境目が環境によって動きます。それを、教育としていろいろ試す必要があると思って、クラス運営をしているそうです。
こういう考え方は、保育でも通ずることがあるのではないかと思います。むしろ、乳幼児のほうが、素直に受け入れるでしょう。こうして「区別」というキーワードから、話が広がりました。
「区別」は、「環境をつくってあげること」。
「区別」は、「認めてあげること」。
孫育てで、発達が気になる。どう対応してよいかわからない
『孫の発達が気になっています。泣き出すと手が付けられない。おもちゃ箱をひっくり返したり、まわりに当たってしまう。アタッチメントを学んでいるので、ギューっとしたりするのですが、嫌がられてしまいます。気持ちの切り替えやほかに興味を引こうとするけど、うまくいきません。どうしたらよいでしょうか。』
これについて、竹安さんがナイスボールを投げてくれました。
「自分も親になって思います。わたしは、障がいのある子と健常な子と両方の子育てをしていますが、結局のところ、発達はどっちも気になるんですよ!発達に関しては、おばあちゃんたちは、ボクら親よりももっと心配しているんだろうという印象があります。皆さんどう思いますか?」この投げかけには、参加者全員がうなずいていました。
これについて、孫育てをするおばあちゃんでもある長田さん。「保育士としての自分は、園児に対して客観的にみていますが、孫のことになると話が変わります。孫が泣いていると、なにか異常はないかと娘に内緒で調べてしまったりします。」
作業療法士の小林さんからは、パニックになってしまうと、それを鎮めるのはむずかしい。そうならない環境をつくったり、配慮をしたりすることも大事だ、という提言がありました。1 か月のうち 30 回パニックになっていたのが、25 回に減っていたら、それは十分 OK だととらえると、ゆったりした気持ちになれると思います。実際の現場で、そんなアドバイスをされているそうです。
もう一つ、わたしからの提言です。それは「アタッチメント行 動のアプローチを変える」ということです。たとえば「ギューする」という一つのアタッチメント行動も、いろんなアプローチがあります。強さ、弱さ、場所、触り方… たとえば、発達障害の子どもの特徴として、強めの刺激を好む傾向や、はさまれるのが好きな傾向があります。そうした動きを試してみる。手や腕、足や脚は好きだけど、おなかや顔は嫌がるとしたら、嫌がるところはやらない。好きなところだけやる。子どもの好みはひとりひとり違います。その子の好きなアプローチを探ってみることも重要です。
保育士の悩み「発達が気になる園児にどう対応したらいいの?」
『勤める保育園の 3 歳の女の子の園児への対応がむずかしく悩んでいます。“ こだわり ” がつよく、給食や午睡、お散歩のときなどに、担任の先生じゃないと暴れてしまいます。また、散歩の際は、いつも同じ子と手をつなぎたがり、他の子を受け入れません。言葉かけや対応を工夫して入るのですが、変化や成長がみられません。これは、わがままなのでしょうか、それとも発達の問題なのでしょうか?この子に、どのように対応していけばよいのか教えてください。』
保育士の尾尻さんは、「わがままではなく、不安があるから、そのようになるのでは。」と言います。さらに発達が気になる子の親の当事者である竹安さんは言います。「親でも、(そうではないとわかっていても)『これは “ わがまま ” なのではないか?』と思ってしまうことがあります。保育士さんだって、そう思ってしまうのは無理もないと思います。自分は、そんなときは、子どもの “よいところ” に目を向けるようにしています。」
中学校教師の佐伯さんは、こう言います。「やっぱり認めてあげたいなあ。なにかその人でなければダメな理由がきっとある。その人じゃないと落ち着かない、自分が保てないとか。3 歳だからこそ、それをわかってあげたい。」
療育の現場にいる小林さんは、「普段、接している自閉症スペクトラムの傾向の子どもだけでなく、自分の息子をみていても、3 歳という時期は、生活のなかの “ 決まり事 ” に関して “ こだわり ” が強いなあと感じる場面があります。たとえば「靴をきちんと並べる」ことに関して、3 歳の息子は、こだわりが強くなってきていて、わたしにもそれを強く求めてきたりします。『いつも決まっていることがズレることで安心できなくなる』という特性は、どの子にも表れてくる特徴だと感じています。特定の人でないと嫌がるのも、この時期の子どもの傾向でもあるのではないでしょうか。」
さらに 0・1・2 歳の保育をする高橋さんは「未満児にとっては、集団はむずかしい。その傾向は 3 歳や 4歳になってもそう。関わる大人は決まっていないとむずかしい。その意味で、担任でないとうまくいかないのは自然なことだと思います。」
皆さんが指摘してくれたように、“ わがまま ”というよりも、“ こだわり行動 ” であり、それは安心を得るための行動です。担任の先生が「安心の基地」になっているわけです。他の先生がヘルプするときは、担任の先生が “ その子 ” に関われるように、他の子の世話にまわる、散歩のときには、あらかじめその決まった子とすぐに手をつなげるように準備する。そういう環境を作ってあげることが重要です。それは、さきほどから話しているとおり「区別」であって、けっして差別やひいきなどではありません。
“ 問題行動だとおもっていること ” を“ 問題行動ではない ”と仮定してみる
「担任の先生でないと嫌がる」→「担任の先生でないと安心できない、不安になる」
そうすると見え方が変わり、対応も変わってきます。
まずは、大好きな先生にいっぱい相手してもらう。
大好きな子といっぱい手をつなぐ。そうした先に、少しずつその先生でなくても、その子でなくても大丈夫な場面が増えてくる。そうやって社会が広がっていきます。それは、健常児も発達障がい児も同じです。ただ、発達障がい児は、そうした特徴が強くでてしまうので、配慮と工夫がより必要だということです。
今回のまとめ
保育園、小学校、中学校、そして療育、子育てする親と、さまざまな立場から話が膨らんで、最終的に、すべてが通じていると感じた、というのが全体の感想でした。
今回は、「発達が気になる子」というテーマで話し始めました。そこから、「区別する」ということに話が広がります。差別はダメだけど、区別は必要。教育現場では“合理的配慮 ”と言う。どうやらそれは、「認める」という姿勢の基にのみ成立するようです。それを前提にして「環境」をつくってあげる。そうすることで、いろんな特徴をもった子どもたちが、おたがいに『多様性』を学び合うような場ができあがる。保育園も、小学校も、中学校も、高校でさえ、そのようにあるべきなのではないかと感じました。
認める姿勢がないと、区別は、たちまち “ わがままの放任 ” や “ えこひいき ” や “ 差別 ”といった負の環境につながりかねません。それは、多様性を欠いた杓子定規なものであり、もはや教育的環境と呼べるものではなくなるでしょう。まさに紙一重です。
その意味で、今日のテーマは、子育てのあり方、保育のあり方、教育のあり方を見つめる機会となったと感じています。
一般社団法人日本アタッチメント育児協会
理事長 廣島 大三