わたしが、『育児セラピスト座談会』をはじめた理由
わたしが、『育児セラピスト座談会』をはじめた理由
~ 一通のネガティブメールが、大事な宝に気づかせてくれた ~
先日おこなった第3回育児セラピスト座談会、テーマは「支配する親」(興味ある方は動画をご覧ください)。YouTube生配信でお届けしたこの座談会に対して、配信の翌日、ライブ視聴していた50代男性会社員の方から一通のメールが来ました。会ったことも話したこともないその人が事務局あてに書いてきた内容は、座談会の感想には似つかわしくないほどに闇のある文章。スタッフが「心して読んでくださいね」と私に注意喚起してくれるほどでした。
50代・会社員男性の主張
原文をそのままご紹介してもよかったのですが、ここでの意図は別にありますので、シンプルに要点のみをお伝えします。要は、「廣島はしゃべりすぎだ、ゆえに座談会に参加しない方が良い。出演停止を検討してください。」という陳情です。 見ず知らずの彼がそこまで言ってきた理由はわかりません。テーマがテーマだったので、私の発言か態度のなかに、彼の過去の体験を投影してしまったのかもしれません。(投影は、人間心理のなかで、もっともやっかいな機能です)
期せずして生じた2つのダイアログ
私も人間です。たとえ知らない人からでも「いない方がよい」と言われれば傷つきます。しかし、このメールを読んで最初に思ったことは、そういうことではありませんでした。
「私が参加しない座談会とは、どんなものだろう?」
「いや、そもそもそれなら、私がやる意味はないのか・・・」
そんな、ひとり言のようなつぶやきでした。この“2つの自己ダイアログ”から、
「自分は、そもそも何のために座談会を企画したのだろうか?」
という問いが発せられました。この問いは、わたしにあることを想起させます。
伝えなければならない大事なことがあった!
この座談会を企画したときに、「趣意書」をまとめていた、その存在を思い出したのです。そこには、座談会をおこなう私なりの意味と目的をしたためていました。
現場で起こっていることや、現場が感じていることを拾い上げる
わたしは、現場の声を聴きたかった。そのために座談会という形式を採用したのでした。そもそも、この協会でのわたしの一番の役割は、『講座カリキュラムを制作し、それをとおしてアタッチメントを伝え、子育て支援のなかで実践してもらうこと』です。
その上で、もっとも大事にしていることが、“現場でいま起こっていること、現場が感じていることを、丁寧に拾い上げ、講座にフィードバックすること”です。
現場の声を聴くための、もう一つの手段をみつけた!
講座の登壇は、現場の声を聴く絶好の機会です。通常の講座では、担当講師からの報告から、現場感や現場の情報を得ています。しかし、講師たちの報告を聴くよりも、みずから登壇したほうが、より多く、より深く現場が伝わってきます。そのために、不定期にベビーマッサージや育児セラピストの講座に登壇しています。
そして、座談会です。と言っても、第一回の時には、「趣意書」はまだ存在しませんでした。その時には、この価値に気づいていなかったのです。第一回を終えたときに、現場の生の声が聞こえてくることを発見しました。そして、現場の声を聴くための座談会がはじまりました。
育児セラピストとして、どのように捉え解釈できるのか
第2回座談会でテーマにした「発達が気になる子」も、第3回の「支配する親」も、その問題を言語化しにくい、あるいは言葉にすると批判を浴びる可能性のあるテーマです。
しかし現場では、そうしたデリケートで扱いの難しい現実にも向き合わなければいけません。現代社会は、そうしたものを避けて通ることを許してくれません。育児の専門家たる育児セラピストが、キレイごとだけを言っていたのでは、子育ても、子育て支援も、保育も、教育も、機能しません。
こうした難しくデリケートなテーマについて、ロールモデルを示し、対応を指南する必要があります。それについて、安心できる場で、真剣に話した経験、本音をさらした経験は、現場の対応力を高めます。座談会の参加者のメリットは、そこにあります。 座談会を視聴するだけでも、その恩恵にあずかることはできます。それは、避難訓練やロールプレイと似ているかもしれません。話しにくいテーマを堂々と話している人たちのやりとりを聴いた経験は、自分が現場でその状況に立ったとき、かならず活きてきます。
傾聴はしない!積極的に介入し、意見を述べる
50代会社員男性が観たかった“座談会”は、ファシリテーターが、平等に話を振り、みんなの意見に傾聴するものだったのだろうと、文面から推察します。これはこれで、成立し得るものだと思います。しかしそれは、わたしにとっての“座談会”ではありません。
わたしが声を上げた「育児セラピスト座談会」は、現場の声を聴くだけでなく、現場におけるロールモデルを指南するところまでを趣旨としています。
すべての参加者とのダイアログをとおして、そのテーマに関して、ある種の方向性や目の前で出来ることを抽出し、それらを提言していきます。そのためには、司会者としてただ話を聴くだけではなく、積極的に介入し、意見も述べることが必須だと考えています。
台本なしのぶっつけ本番、そこにこそ学びがある
育児セラピスト座談会には、台本がありません。ただテーマがあるだけです。それをぶっつけ本番でダイアログします。すべての参加者が、平等に話をする必要もないと考えています。そもそも参加者には、それぞれの意図が存在します。
発信したい人、受信したい人、気づきを得る人、勉強する人、刺激を得る人、横のつながりを作る人・・・参加者本人も、それらすべてを自覚しているわけではありません。
今回の参加者の一人から、次のような感想をいただきました。
(以下原文まま)
座談会の回し方を学べたのが大収穫でしたm(_ _)m
普段のトーク力、座談会でのトークの仕方をレベルアップすべく、普段から話す時に意識するようになりました(*>∇<)ノ
座談会の学びは本当に大きかったのですが、反省の多い時間でしたm(_ _)m
あの後、看護師同士でナース会したいね~と言って連絡を取り合ってます(^-^)
素敵なご縁を、ありがたく思います(o^-^o)
この方が、すべてを意図していたわけではないと思います。終えてみて、そんな発見があったのでしょう。この展開は、“ぶっつけ本番”のなせるわざです。順番に用意した意見を述べるだけの予定調和からは、こうした発見は生まれません。
モヤモヤは消え去り、宝だけがのこり続ける
これらのことを、わたしは皆さんに伝えることを怠ったまま、座談会をおこなっていました。50代会社員男性は、図らずもそれに気づくきっかけをくれました。そしていま、大事なことを皆さんに伝えることが出来たことに、感謝の念さえ抱いています。
正直にいいますと、彼の書いた文章によって、存在を否定されているような気持ちになり、モヤモヤしました。「あなたに言われる筋合いはない!」という気持ちも湧きました。
同時に、そのおかげで座談会の大事なコンセプトを再発見し、整理し、再構築してお伝え出来たことも事実です。そこに思いを馳せると、モヤモヤは消え、感謝の念さえ湧きます。
モヤモヤと感謝は、行ったり来たり。そうするうちに・・・
50代会社員男性の記憶も、彼の紡いだ醜い言葉も、モヤモヤとともに消えてゆきます。この原稿をみなさんに読んでいただくころには、何の感情も動かない“過去の出来事”になっています。
一方、感謝とともにここで生まれた価値、思いが伝わったみなさんとの交流は、これから宝としてのこり続けます。それらは、次の未来へつながってゆくことでしょう。
「苦い経験は人生の宝だ!」というのは、きっとこういうメカニズムなのだと思います。
今後も、育児セラピスト座談会に、ぜひご期待ください。
たとえ批判を受けたとしても、“ありきたりの予定調和”をするつもりはありません。
みなさんのご参加・ご視聴を、お待ちしております。
一般社団法人日本アタッチメント育児協会
理事長 廣島 大三