基調講演:「乳幼児期におけるアタッチメントと非認知的な心の発達」遠藤 利彦先生

前回、遠藤先生にご登壇いただいたのは、2017年の全国大会でした。そのときのお話の中でチラッと「非認知スキル」のことが触れられていて、わたしは、思わず反応し質問したのを覚えています。遠藤先生は、「非認知スキル」をどのように捉えていらっしゃるのか、もっとくわしくお聞きしたい。4年の時を経た2021年、ようやくその思いが遂げられた次第です。

コロナ禍における子どもとのコミュニケーション

コロナ禍というご時世を反映して、「マスク環境の子どもへの影響」についての話がありました。マスク着用で、顔の下半分が覆われているのが当たり前。口元が隠れてしまうと、子どもとのコミュニケーションがうまくいかなかったり、発達に影響が出たりしないか心配する声があります。

それに対して、遠藤先生は、マスクの上半分、つまり目と目元だけでも、子どもはちゃんとこちらの表情や心の状態を読み取ることができると言います。

コミュニケーションで大事なのは、口ではなく、目なのだそうです。「あの人は、目が笑ってない」と感じることがあります。口は笑っていても、目が笑ってなければ、笑っているとは感じられないのです。逆に、口元の動きはなくても、目が笑っているだけで、その人は心の底から笑っていると判断できます。子どもは、われわれの目をみて、うそのない笑みを、ちゃんと感じて反応するのです。

同時に、マスク環境下における、子どもとのコミュニケーションの注意点も指摘されました。口元がかくれていることで、誰が誰に言っているのかが伝わりにくいといいます。声を聴き、口を動かしているのを見て、誰が発話しているかを認知します。そして、その人の目線を追って、誰に言っているのかを確かめます。マスク環境だと、取っ掛かりの「誰の発話か」が、わからないため、誰に言っているかを追えない。結果として、指示が通りにくい、コミュニケーションが成立しない、ということが起こります。

その対応として、われわれ大人は、子どもに対して、まず「誰に話しかけているのか」を明らかにして、その子の目線に入ったことを確認して「要件を話す」という丁寧なコミュニケーションが必要だと言います。

このアプローチは、発達障がいの子に対するコミュニケーションにも有効なので、マスク環境下に限らず有効だと、個人的に思いました。

ウィニコットの「ほどよい」がアタッチメントの原点

そして、本題です。遠藤先生は、いつもアタッチメントの導入としてウィニコットのお話をされます。スヌーピーにでてくるライナスがいつももっている毛布「ライナスの安全毛布(移行対象)」と「ほどよい関係性」。完璧な関係は、むしろ望ましくはないのだ。ほどほどによいくらいの関係がむしろ理想なのだという考えです。「移行対象」は、お母さんの代わりとなる決まったなにかのこと。お母さんといつも一緒じゃなくても大丈夫な「ほどよい関係」の象徴です。ウィニコットは、ボウルビイがアタッチメント理論を提唱する前の時代から、アタッチメントの概念をとてもよく表現してくれているのです。ここでウィニコットを引用されているところが、とても遠藤先生らしいと個人的に思っています。

愛情ではなく、心理学としてのアタッチメント

最初に遠藤先生が強調されたのは、「アタッチメントは不安の解消が原点だ」ということ。怖くてお母さんにくっつくのがアタッチメントで、うれしくてくっつくのは、厳密に言うと違うのだと。その意味でスキンシップとも区別する必要があることを指摘されました。

アタッチメントは愛着と訳されますが、「愛」の字が愛情を想起させるため、本来の「危機回避行動」の意味あいが伝わりにくくなっていると言います。そのため近年は、遠藤先生をはじめとして、原語の「アタッチメント」をそのまま使う研究者が増えているそうです。

アタッチメントのはく奪は、子どもからなにを奪ったのか

アタッチメントは、通常なら当たり前に享受できる経験です。しかし、そのアタッチメントをはく奪されて育った子どもには、どんな影響があったのでしょうか。チャウシェスク政権下のルーマニアの孤児院で育った子どもたちの研究から、その答えを導きます。

それは、物理的には豊かな環境が整ったものでした。しかし、「人の手による世話」が著しく乏しかった。食べるのも、おふろに入るのも、排せつでさえ、すべてが数人の世話係によって一斉におこなわれました。いつも決まった養育者でもなく、怖いときにくっつくこともできない環境で育った子どもたち。そうした子どもたちに、生涯にわたる長期的な悪影響をあたえた要素とは?アタッチメントのはく奪によって、パーソナリティ形成を阻害し、生きていくうえでの困難を生むほどに大事なものとは?

「自己と社会性」

「自己」とは、無条件に愛される価値を知っていること。基盤としての自己信頼。意欲、内発的動機づけ、自制心やグリッド(やりぬく力)、そして自律性と自立性。つまり自己成長力といったもの。

「社会性」とは、人を信じてもよいと知っていること。基盤としての他者信頼。心の理解、コミュニケーション力、共感性、思いやり、協調性や道徳性、規範意識。つまり社会を生きるのに必要な力。

注目の『非認知スキル』の正体は、アタッチメントだった

「自己と社会性」は、教育や保育で注目される「非認知」の中核であると遠藤先生は言います。非認知スキルは、経済学者J・ヘックマンの研究によって近年広く知られるようになりました。これまでは、知能指数(IQ)やお勉強などの認知スキルが、いつも注目されてきました。ヘックマンは、頭のよさや将来の収入、あるいは幸福につながるのは、むしろ非認知スキルであることを解き明かしました。非認知スキルは、集中力や自制心、やりぬく力、自立性、あるいはコミュニケーション力や共感力、道徳観といった性格傾向です。その優位性は、大人になった40年後も持続することを証明しました。そして、非認知スキルの育ちのカギは、幼児期における子どもへの教育と親教育にあると結論づけました。

では、非認知スキルを育てるためにはどうしたらよいのでしょうか?
われわれがもっとも興味のあるこの問いに対する明確な答えは・・・

乳幼児期の「アタッチメント」にあります。

ぜひとも理解しておきたい「安心感の輪」

このことを遠藤先生は、おなじみの「安心感の輪」で解説してくださいました。重要なのは、親が「避難所」と「基地」の役割をきちんと果たすこと。

「安全な避難所」は、子どもが感情を立てなおす場所。子どもは、親のひざから一歩踏み出して、探索の旅にでますが、不安になって「こわかったよ~」と言ってもどってきます。そのとき親は、「こわかったね~、もう大丈夫だよ!」と子どもを迎え入れてあげます。やがて、子どもは感情を立てなおし、落ち着きをとりもどします。

「安心の基地」は、探索を促してもらう場所。避難所で感情を立てなおした子どもは、「また行ってくるね!」と探索の冒険にでかけます。そのとき親は「がんばって行っておいで!」と背中を押し、応援し、見守ってあげます。それに後押しされて、子どもは安心して旅立つことができます。

こんどは、もっと遠くまで探索できますが、また、怖くなってもどってきます。そうしたら避難所で立て直して、また基地で応援してもらって旅立ちます・・・この探索の旅と感情の立て直しの繰り返しをとおして、子どもはいろんな発見をし、多くを体験し、成長します。この一連のメカニズムを「安心感の輪」という図をとおして説明することが出来ます。このいとなみによって、子どもの自己と社会性は、豊かに育ちます。別の言い方をすると、「このようにして非認知スキルは発達していくのです」

安心感の輪がうまく回らないと・・・

「安心感の輪」は、相手がいてはじめて成立します。子どもは、その相手である親を選べません。親によっては、安心感の輪が、うまく回らないケースもあります。そして、アタッチメントの個人差が生じます。アタッチメント障害(愛着障害)と言われるケースです。これを、詳しく解説するには、誌面が足りないので、ここでは遠藤先生の解説を基に、ごくシンプルにまとめます。

輪がうまく回っていれば「安定型」、自己と社会性がちゃんと育ちます。輪が回らないケースでは「回避型」といって、親にあまりくっついたりしません。あるときは回るけど、あるときは回らないようなケースでは「アンビヴァレント型」といって、後追いやしがみつきが強く、だれかれ構わずくっつく傾向があります。輪が回るどころか、虐待やネグレクトを受ける養育では「無秩序・無方向型」といって、どっちつかずの行動や、フリーズしたりして、病理性が高いタイプです。安定型以外の3つの型は、輪がうまく回らず、親が避難所と基地の機能を果たしていないケースで、アタッチメント障害(愛着障害)と関連します。

そのように育った子どもは、恐れの状態から逃げるための緊急反応で、心臓・血管・内臓・脳神経系などに大きな負担がかかり、脳や身体の発達にダメージが生じます。それとあいまって、自己と社会性がうまく育たず、大人になってからも、生きることそのものが困難な状況に追い込まれたりします。

安心感の輪による自己と社会性の育ちにおいて、親の果たす役割は、かくも大きいことを、遠藤先生は指摘します。それは、非認知スキルの発達において、ヘックマンが「親教育」を要に挙げていたのと同じ文脈と言えます。

“特別”でもなく、“完璧”でもなく、「ほどほどによい」にこそ価値がある

今回の講演のテーマである「子どもの発達と教育」における「アタッチメントと非認知スキル」について、最後にまとめます。

アタッチメントにおいて、もっとも核となるのは「自己と社会性」の育ちです。これは、ヘックマンが指摘した「非認知スキル」と根っこのところで同じものです。どちらも、学力や能力、収入、健康、そして人間性において、生涯にわたって大きな影響をおよぼします。

「自己と社会性」=「非認知スキル」を大きく豊かに成長させることは、人生を幸せに生きることにつながります。そのカギは、乳幼児期の親による「安心感の輪」の回し方です。「安全な避難所」として、子どものくっつきに応え、感情を立てなおし、「安心の基地」として、子どもを勇気づけ、つぎの探索を促す。このくり返しを、たんたんと行う。子どもは、それを、やがて必要としなくなります。それでも、変わらずに、そこにあり続けることが重要です。

安心感の輪は、子どもに「特別なこと」をやってあげる以上に重要です。なにか特別なことをやってあげたり、完璧な子育てをしようとすることは、むしろ問題があると遠藤先生は言います。

子育ての原点は、ウィニコットの「ほどほどによい」なのです。非認知スキルの育ち、その先の生涯にわたる有能性、優秀性は、そうした子育ての先に存在するのだということを、遠藤先生の講演から、あらためて確認することができました。

一般社団法人日本アタッチメント育児協会
理事長 廣島 大三

遠藤利彦先生 基調講演 受講生の感想

正しい「アタッチメント」について理解し、また保護者へ分かりやすく伝えていくワードを沢山知ることができました

「アタッチメント」についてしっかり理解していなかったことに気づけたこと。正しい「アタッチメント」について理解し、また保護者へ分かりやすく伝えていくワードを沢山知ることができました。

乳幼児期だけでなく、将来の健康にも影響すること等、いましか見えていない保護者にもきちんと伝えていきたいと思いました。もっともっと聞いていたい内容でした。

保育士 40代 新潟県

このような機会を設けていただきありがとうございました

アタッチメントについてあらためて自分の中に落とし込み、心の根っことなる乳幼児期の関わりの大切さを積極的にお伝えしていくために、遠藤先生のお話が聞けて本当に感動しました。このような機会を設けていただきましてありがとうございました。

大切なポイントが分かりやすかったです。

保育教諭 50代 大阪府

子どもの自発性を高めていくことを保育のなかでも年頭において行いたい

子どもにとって完璧でない環境が大切なこと、そこから子ども自身がなんとかしようとして自分で抜けようとする、嫌な状態を跳ね返そうとすることでたくましい心を身につけていくということに納得した。

手を貸すことが最良ではないこと、子どもの自発性を高めていくことを保育のなかでもあらためて念頭において行っていきたいと思う。

保育士 50代 秋田県

アタッチメントが築かれているとどんな風に育つのかが理解できた

「アタッチメント」とは何か、またアタッチメントが築かれているとどんな風に育つのかが理解できた。

子どもの成長において、「自発的」な行動を尊重すること、またそのためにはやはりアタッチメントが十分でなくてはいけないということがわかり、今後の子育ての核になる部分ができた。

人の育ちの土台となるものが、アタッチメントであり、いま自分は子育ての中でその土台をしっかりとつくってあげられていると自信になった。

40代 愛知県

乳幼児期に身につけておきたい、自己と社会の力、自己信頼、他者信頼が重要であることを再認識できました

コロナ禍における子育て、保育のところで、マスク装着の弊害が思ったより少ないのかもしれないことが心強く感じられました。

また、基本的なことですが、乳幼児期に身につけておきたい、自己と社会の力、自己信頼、他者信頼が重要であることを再認識できました。

看護師 50代 東京都

乳幼児期の重要性を再認識し、人間力のある子を育てたい。

保育の中で、非認知の力を育てるよう心がけております。
乳幼児期の重要性を再認識し、人間力のあるお子さまを育てたいと思います。

保護者さまには「安心の基地」となっていただけるようお手伝いして参ります。

保育士、親子教室、アートセラピスト 幼・小学校入学準備 50代 東京都

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