発達障がい児の子育てでも、やっぱりアタッチメント
個性が平らな子と、個性が強い子
わたしは、ヒトの発達を、こんな風にとらえています。人はだれも何らかの発達障がいをかかえて生きている。そもそも凸凹があるのが人間。
健常児は、どのことも平らにできる子、発達障がい児は、得意なことと、苦手なことがはっきりと分かれる子。それらはすべて「個性」であり「特性」です。
わたし自身の話をしようと思います。小学校時代は、典型的な「多動児」でした。「発達障がい」という言葉も概念もなかった時代なので、何となくクラスになじんではいました。授業中に、教室を出て行ってしまったり、家に帰ってしまったことは何度となくありました。社会で石器について習うと、石を地面にたたきつけて矢じりをつくろうとして、学校のガラスを割ったことを覚えています。あきらかに普通とは言い難い子ども、問題児です。いまでいうADHDかアスペルガー。ちなみに、問題行動は中学、高校とすすむにつれ、徐々に社会化し、うすれていきました。
これを「障がい」ととらえるか、「個性」ととらえるか。
人と違うことをプラス評価できるかどうか
わたしの場合、問題行動をひどく叱られることはありませんでした。わたし自身、他人と違ったことをする自分を誇らしく思っていた節(ふし)もあります。良くも悪くも、わたしの母親は、人と違うことを好む人でした。それは、ときに私の傷になることがありました。同時に救いになってもいたのです。いまとなっては、そんな一風変わった母に感謝しています。
わたしは、発達支援の講座で、こんなことを伝えています。
『世の中は、健常児だけではまわりません。発達障がい児をはじめとする「得意のとがった人」が変わったことや、新しいことをして発展します。それを健常児がバランスよくまわしていく。そうして成り立っています。』
発達障がい児は、健常児に劣っているわけでは決してありません。世の中での役割がちがうということです。そして、発達障がい児の苦手なことのなかには、年齢とともに薄れていく特性もおおくあります。逆に得意な特性は、際立ってゆきます。
苦手の克服にエネルギーを注がない
こんなことも伝えています。
発達障がい児の子育てにおいて親は、『苦手なことの克服よりも、得意なことを伸ばす、あるいは邪魔をしない』ことが重要です。子どもが小さいときは、子どもの「出来ないこと」や「苦手なこと」に目が行ってしまい、それを克服しようとしてしまいがちです。しかし、逆のアプローチが良いのです。苦手なことには大きなエネルギーを注がず、「得意なこと」をほめて、認めて、応援してあげることにエネルギーを注ぐ。それによって苦手なことは緩和してゆきます。それは一日二日あるいは、数週間で期待できることではないかもしれません。数か月、数年という長い目で見てあげる必要があります。じつはこれは、健常児の子育てにも同じことが言えます。けっきょく、子育ての本質は同じということです。
その子にあったアタッチメントの与え方をする
ひとつ違いを挙げるとすれば、発達障がい児は、健常児よりも、丁寧に扱われる必要があるということ。「丁寧に扱う」とは、「アタッチメントをはぐくむことを意識した扱い」です。その子の発達段階に応じたアタッチメントのアプローチを、意識的に与える。それを緻密に、丁寧に、意図的におこなう。結果として、子どものアタッチメントを育てるだけでなく、親自身のアタッチメントも育つような子育てになります。 子どもにアタッチメントを与えるうえで、ほかの子とは、すこしアプローチや方針に違いがあるかもしれません。親として期待する方向が、他とはちがうかもしれません。それが、その子の個性です。
人と違うことを障がいととらえるか、個性ととらえるか。
アタッチメントは、その答えをはっきりと教えてくれています。発達障がい児の子育てにおいては、“個性”を信じ切るチカラが試されるのです。
一般社団法人日本アタッチメント育児協会
理事長 廣島 大三
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