コロナ禍のみえない精神リスク(1)
コロナ禍のみえない精神リスク(1)
この日常は、あたり前なの?
街にでる。道行く人は、みんなマスクをして歩いている。
朝テレビをつける。情報番組では、今日の感染者は〇人と報道している。
みているこちらも、「今日は何人?」と気にかけている。
いまは、あたり前の“日常”です。 でも、6カ月前(2020年7月21日現在)は、こんな“日常”は存在していませんでした。新型コロナウィルスの恐怖は、毎日のように世界中で報じられています。われわれは、政府による緊急事態宣言という非日常を経験した当事者です。そして、いまもその渦中にいます。まさに“コロナ禍”です。
わたしの身に起きている、症状の数々
“コロナ禍”は、想像している以上に、実感している以上に、われわれの精神にストレスを与え続けています。どれだけのネガティブ・ストレスが心にかかっているのか、われわれは、わかっていません。なぜなら、それが、“日常”になってしまったから。
かく言うわたしも、自分ではわかっていません。ただ、わたしは、自分に症状があらわれていることには気づいています。(それが専門ですから)
・ 仕事が進まない、気分がのらない、注意散漫になる
・ 休みの日、これまでのように趣味のことをするでもなく、何もせずに過ごす
・ 大好きなワインが、おいしく飲めていない
・ ジムに行かなくなり、運動をしなくなって久しい
・ 気分が空虚で、やる気がおきない、ものごとを悪くとらえてしまう
すべて、実際わたしの身に起きていることであり、今もこうした症状とつきあっています。
それは「抑うつ」の症状そのものです。
ご存知の方もいらっしゃいますが、わたしは、エネルギーレベルが、人よりも高めの人間です。どちらかというと、こうした状態とは遠いメンタルの持ち主です。「うつ」になった経験もありません
例外なく、みんなに起きている「なんとなく不調」
コロナ禍で、多くの人に、同じようなことが起こっているはずです。しかし、よほど意識的で、知識のある人でなければ、気づきにくいものです。多くの人は、気づかないうちに、ストレス状態に慣れてしまい、それがつづいて“日常”になります。この“日常”は、「うつの入り口」です。日本中で、そんな”日常“が課されているのです。
実際、わたしの身近でも、「抑うつ」は、そこかしこで起きています。みんな決定的ではないけど、「なんとなく不調」なのです。
なんとなく不調な人々(私を含めて)は、おおむね日常生活に問題はありません。ところが、なにかちょっとしたことが“トリガー”になって、心が崩れる危険性を秘めています。自分も、家族も、身近なひとも、みんな同じように、コロナによる「精神の環境リスク」を抱えています。
先日、俳優の三浦春馬さんが、自殺で亡くなりました。親しい人から見ても、「自殺するなんて思わなかった」ようです。多くの場合、自殺は計画性のあるものではなく、何らかのトリガーによって、“衝動的”に行われるものです。彼がどういう状況だったのかはわかりませんが、少なくとも「コロナ禍」という環境要因が、彼の自殺衝動に大きく寄与していたのだと思えます。