27年ぶりにイギリスの母校を訪ねて
目次
- 1.27年ぶりにイギリスの母校を訪ねて
- 2.会ったことはないけど、人生に影響を与えた二人の師
27年ぶりにイギリスの
母校を訪ねて
人生を左右する転機があったとすれば、ここで心理学に出会ったことかもしれない
今回、27年ぶりにイギリスを訪ねてみようと思い立ったのは、今年の梅雨明けのころだった。そもそもイギリスの大学で、英語を学ぶために選んだのが心理学だった。それが児童心理学であったことも意図したものではなかった。いざ学んでみると、英語よりも、児童心理学のおもしろさにのめりこんだのを、今でも覚えている。いま思えばそれが、人生最初の転機だったのかもしれない。そんなことを思いながら、寒い12月の日暮れ、ヒースロー空港に降り立った。この時期のイギリスは、日暮れといっても午後4時半くらいだ。
イギリスについたら、まずはパブで地ビール!
今回は、ハイドパーク近くのアパートメントタイプの宿を予約した。ネットで見て、なんとなく学生時代の寮生活の雰囲気があったからだ。荷物を置いて、早速パブに出かけた。
イギリスに来たら、やはりパブは外せない。ボクは、普段ビールは、あまり飲まないが、イギリスでは、なぜかビールが美味い。いろんな味わいがあるので、好みのものを選べるからだろう。ボクが好きなのはPale Aleという種類で、香りと苦みが特徴だ。イギリスは、パブごとで、扱っているビールの銘柄が違い、基本的にはタップから出す生ビールが主流だ。1Pint(600㏄あまり)を気持ちよく飲みほした。この感じは、ベルギービールとよく似ている。さらにもう一杯いけそうだが、時差ボケを脱するためにも、そのまま帰って休むことにした。
いよいよ27年ぶりにEghamへ
ボクが通ったRoyal Holloway, University of London は、ロンドン市内からBritish Railwayで40分ほどの郊外Eghamという町にある。小さな駅で、当時は小さな売店があった。この売店を営んでいたのは、オーストラリアから移住してきたおじさんで、” Goood day, Mate !” とオーストラリア訛りで、イギリスらしくないあいさつをしてくれたのが、愛らしかった。ロンドンに行くときは、いつもここで車内で飲むコーヒーを買って、電車が来るまで、おじさんと世間話しをしていたのが懐かしい。もしかしたら会えるかと、かすかに期待していたが、さすがに売店はなくなっていた。
変わったのは売店がなくなったことだけじゃない。いつも立ち寄っていた、駅近くのFish & Chips屋を探そうとしたが、これも見つからない。一応それらしき店を発見したが、定かではない。
それもそのはず、駅前の景色が全く変わっているのだ。新しい道ができ、そこには家が建ち、当時の景色とは別物になっていた。
いよいよ大学の中へ
そんなわけで、当時と同じ道をたどって大学まで行こうと思っていたが、道が変わってしまっていたので、グーグルマップに従うことにした。住宅街を抜けてたどり着いたのは、正門ではなく、裏門だった。この大学は、正門とその先に見えるメイン校舎が象徴的なので、正門から入りたかった。
裏門から入ると、新しくできたらしいフラット(寮)が並んでいて、そこをぬけるとメイン校舎のFounder‘s building が奥に見えてきた。相変わらずお城のような建物だ。さらにキャンパスの中を歩いていくと、その全貌が見えてくる。今ならハリーポッターのホグワーツ魔法学校というところだろう。
ここは変わらない。当たり前だ。1800年代からこの様相なのだから。しかし、Founder‘s buildingの隣に目をやると、近代的な建物が目に入ってくる。そして、キャンパス全体の雰囲気は、とても近代的だ。当時よりも環境はアップデートされている。
とは言え、基本的なことは変わらず当時の様子と大きくは変わっていない。学内の掲示板に貼られたイベント告知や、当日やっていた食のイベントの様子を見ると、それが伝わってくる。当時もこんな雰囲気だった。
あの時の日常生活を追体験する
当時、ボクが住んでいた寮は、大学の正門から道を挟んだ向かいにあった。大学と寮は、歩道橋で結ばれていた。この歩道橋をわたって、毎日通ったものだ。
新しいフラット(寮)がたくさん建っているようだが、まだ、あのフラットはあるのだろうか?歩道橋をわたってフラットに向かってみた。
あった。当時のまんまの姿だ。まさにこのフラットだ。玄関ドアを入ってすぐの部屋。1階に4人、2階に4人。となりの部屋は、イタリア人の理工系の大学院生でCarlという名前だった。その隣は、イギリス人の女の子Sue、その隣は、レズビアンのKatharinだった。中には入れなかったが、中の様子も鮮明に覚えている。当時の日常生活の1ページだ。
ここから、駅に向かって通りを下ると、たまり場となっていたパブがある。そちらにも行ってみよう。
確かにこの場所だ!でも何か雰囲気が違う。中に入ってみると、やはり明らかに違う。全面改装したようだ。
店の女の子に聞いてみると、やはりそうだった。「昔は、もっと典型的なパブだったんだけど、3年前にオーナーが変わってカフェスタイルに改装したのよ」
確かに、店内は白を基調としたおしゃれなカフェ風だ。ボクが通っていたころは、焦げ茶色の木の内装で、重厚感のあるいかにもイギリスのパブという感じだった。でも、ビールのうまさは、当時のまんまだ!
そして、今も学生たちが集まって、ビールを飲みながら、語らっている。ちょうどこの日は、どこかのゼミのクリスマスパーティーをやっていた。その中の一人の女性と話をした。おそらく30~40代前半の彼女は、大学院生だった。同じゼミの若い子たちの中で、ひときわ落ち着いており、ゼミの先生かと思ったくらいだ。イギリスは、彼女のように社会人になってから、大学に通いなおす人も多い。だから、キャンパスにボクのようにおじさんがいても、まったく違和感はない(はず)なのだ。
学生の当時は、その「ありがたみ」に気づけなかった
あらためて訪れてみると、ここでの学生生活は、その環境の良さに圧倒される。校舎、先生たち、学生たち、フラット(寮)、パブ(イギリスは、学内にパブがあります)・・・。本当に恵まれた環境にいたのだと、48歳になって訪れて、はじめて気づく。しかし、当時はそんなことは思ってもおらず、ただ当たり前のように過ごしていた。
キャンパスを歩く学生たちが、本気でうらやましい。輝いて見える。自分も、もう一度ここで学生をやってみたい。当時をなつかしむのではなく、今の自分が、それを望んでいる。
ここには、今の自分を形成している大切なパーツが、当時から存在していた。そして、当時、ボクは確かにそれらを受け取っているのだ。しかし、その当事者は、そのことに全く気付くことなく、これまで過ごしてきたようだ。そして27年経った今、この地を訪れてはじめて受け取ったものの重要さ、貴重さに気づいている。まさしく、ここは原点だったらしい。
大学ネタのしめくくり
大学を訪れたことを、Facebookに上げると、なんと懐かしい人が連絡をくれた!当時、毎日のようにつるんで、Brotherと呼び合っていた親友のBobbyだ!彼は、物理学専攻の学生で、当時DJをやっていて、音楽談義に花を咲かせたものだ。当時のUKでは、Acid Jazzや Funk Jazzの全盛期だった。
いま、Bobbyは、イタリアの大学で物理学の教授をやっている。当時つきあっていたSaraと結婚して3人の子どもがいる。Bobbyは、「ちょうど今週イタリアからUKに帰るから、会おう!」と連絡をくれた。
日程調整の末、なんとか帰国する日の午後に、ロンドンで会えることとなった!27年ぶりの再会だ。
Bobbyは、今でもDJを続けているFunkyな教授だ!学生の前でもターンテーブルを回すらしい。そして、今でもアナログレコード一筋。CDはもっていないという。
Bobbyとの再会をもって、今回の原点を探る旅は、最高のエンディングをむかえた。
会ったことはないけど、人生に影響を与えた二人の師