今、社会に求められているアタッチメントの力
アタッチメントベビーマッサージ 出産現場で効果
(2013/4/25)
胎児期からの愛着形成が重要/母親「出産・育児 気の持ち方変わった
子どもが心身ともに健やかに育つには胎児期からの母子のアタッチメント(愛着)形成が重要だ。広島市の舛本産婦人科医院で妊娠中の女性を対象にした「アタッチメント教室」と生後3~4か月の赤ちゃんを対象にした「ベビーマッサージ教室」を開いている杉原美代子看護師に活動内容やアタッチメントによる母親の変化について聞いた。
舛本産婦人科医院で看護師として働く杉原美代子氏は日本アタッチメント育児協会が主宰するアタッチメントベビーマッサージインストラクター養成講座を受講して、その後2011年6月に育児セラピスト1級を取得。その2か月後、同医院でアタッチメント教室を開講した。
「妊婦教室を担当して安産のための呼吸法やストレッチを指導していたのですが、授かった命の尊さ、母親になる心構えなどを妊婦さんにうまく伝えるにはどうしたらよいかと考えていた時、養成講座を知り、受講しました。アタッチメントの話を聞いて、これこそ私が伝えたかったことだと気づき、1級を取得してすぐ教室を開きました」と杉原氏は経緯を語る。核家族で育って、赤ちゃんを見たことも抱っこしたこともないまま妊娠し、母親になることに不安を抱いている女性が多いと感じていたという。
アタッチメント教室は第5水曜日に開催。お腹の中で赤ちゃんがどのように成長していくか、触覚や聴覚の発達に重きを置いて説明し、お腹にさわること話しかけることの大切さを説く。その後、すでに出産した女性から妊娠中や出産時のエピソードを話してもらう。そして最後はグループワーク。互いの不安や悩みなどを語ってもらい、妊婦同士で交流してもらう。
昨年4月から毎月第2金曜日にベビーマッサージ教室も開講した。赤ちゃんをよく観察した後、マッサージしやすいようオイルをつけて肌に触れていく。赤ちゃんが気持ちよさそうにしていると、赤ちゃんを見るお母さんの眼差しもやさしくなる。ベビーマッサージは母子のアタッチメント形成のための営みの一つ。マッサージを通じて母親と赤ちゃんの良好な愛着関係が形成されていく。
杉原氏は教室参加者に毎回、アンケートを行っている。参加者からは「教室に参加することによって出産に対する気の持ち方が変わったし、友達もできてよかった」「出産についてほとんど知識がなかったが、分かりやすい説明や体験談を聞くことで励みになった」などの声が寄せられている。
「アタッチメント形成は赤ちゃんが生まれてからでなく、胎児のうちから始めることが非常に重要だと思います。お腹にさわり話しかけると赤ちゃんがキックして応えてくれたという体験をした女性は出産後、自然に愛着関係を育てていけるからです。これからも産前から産後まで、アタッチメントを深めていく活動をしていきたいと思います」
わが子を愛する喜びと幸せ実感
「アタッチメント」が出産の現場を変える
今号では、医療、出産の現場が抱える問題を、事例を交えて考えてみたい。
最近、赤ちゃんを産んでも、母親の実感が乏しく、わが子を愛おしいと思い、心から愛すことが出来ない母親が増えている。
通常、母親は、赤ちゃんを産んだ時に母性が最高潮に達し、それが持続する。そして、生まれてきた赤ちゃんを愛おしく思い、無条件に愛し、世話をしたり、おっぱいをあげたりすることに、喜びと幸せを感じ、母性は強化されていく。
しかし、その母性がうまく育たないと、そうした自然な感情が湧きにくく、赤ちゃんにどう接していいのかわからなくて、放ってしまったり、あたってしまったりすることがある。こうした母親は、子育てに不安や困難を抱えやすい。
当協会の講座を学びに来る看護師や助産師は、これを実感している。
このようなケースにおいて、アタッチメント形成を促すことが、大きな成果を上げているある市民病院のNICU(乳児集中治療室)病棟では、保育器に入った赤ちゃんへのベビーマッサージをお母さんに指導している。
NICUに入った赤ちゃんのお母さんは、出産直後から母子が離れ離れになり、お母さんに母性が育ちにくい。そのため、出産後赤ちゃんへの興味が薄い傾向がみられ、退院後、子育てに困難を抱える場合がある。
そうしたお母さんにベビーマッサージを通して、赤ちゃんと接する機会を増やしたところ、赤ちゃんや子育てに対して日に日に興味を示すようになる。
また、マタニティヨガを通して、妊娠中からのアタッチメント形成に力を入れる助産院も増えている。マタニティヨガによって、出産への不安が軽減され、出産時の母性の発現が促される。
これらの事例は、お母さんのアタッチメント形成を促す試みによる結果である。子どもを産むことにも、育てることにも不安が大きい現代の出産、育児事情において、助産院や病院の産科において、このような試みがなされていることは、一筋の光明と言えるのではないだろうか。