アタッチメント・ヨガ対談「ヨガ+心理学」
橋村:ヨガで体を伸ばしたりして何をしているかっていうと、自分との対話をしているんです。呼吸をして何をしているかっていうと、自分との対話をしています。瞑想して何をしているかっていうとそれも同じです。
全部自分に対してなんですよね。最終的に答えはどこにも落ちてないっていうのが、ヨガの考え方です。最終的にどこに落ちているかって、自分の中にしかない。別の文脈では、宇宙に落ちているとか、心の深い世界に入ってけば、自分を通して神様が知っているみたいな話になっちゃいます。
廣島:「神は自分の中にいる」っていう考え方と同じですよね。
橋村:そういうような感じですよね。本来の生粋の自分に戻るためのツールとしてのヨガですよね。だから自分らしくなるための道具ですよっていうふうにもいわれますし、二つのものを一つに結ぶのもヨガですよって。
今、廣島さんと僕が話している状態で、お互い意見はあるけれど、一つのものを導き出そうとして協力しているとか調和している状態って、この状態もヨガなんですよ。僕らはこの空間でお話をしながら調和している。ここでお互いが闘いあったり、あるいはそこに敵意があったりして、一つのものではなくて、二つのものに分かれている状態だとしたら、それは、ヨガとはいいません。
廣島:なるほど。ちょっと面白い方向性になってきたので、この流れで、本題のアタッチメント・ヨガの方向に振ってみたいなと思うんですけど。
アタッチメント・ヨガにおいては、マタニティー(妊婦さん)と胎児にしても、生後の母子にしてもそうですが、ヨガ的に見たときに、物理的に言うと、『二人でやるヨガ』になってくるわけですよね。これってどうなんですか。
橋村:『二人でやるヨガ』になってきたら、物理的に二つに分かれているから、これはヨガかどうかっていう話ですか。
廣島:そうです。ヨガは、本来自分を見つめるものですが、「二人が一緒に行うヨガとしてのアタッチメント・ヨガ」を、ヨガ的に解説いただければと思います。
橋村:特に意識があるものを限定で話しますけれど、人間には意識がありますよね。赤ちゃんもおぼろげであるかもしれないけど意識っていうものがあります。この意識のある者同士が意識をお互いに向けあって循環させたら、そこで一つなんですよね。これはもう立派なヨガなんだと。
お母さんは子どもに対して思いを持つ。子どもは、お母さんに対して何かしらの安心感を覚えたりする。この意識の循環があるだけでヨガで、逆に言えば同じ母子でも、意識の循環がないとしたら、抱いていても二つでしかないです。それはもうヨガの状態ではないですし、おそらくアタッチメントも生まれないですよね。
特に母と子どもという意味では、同じ体の中で繋がっていたものが、ある日突然、二つになるわけですから、赤ちゃんはやっぱり寂しさもあるだろうし、お母さんも寂しさがある。その中で繋がりをきちんと感じていけるかというのが、子どもにとっての安心感であったり成長であったり、お母さんにとっては、母としての認識であったり、自信といったものであったりするわけじゃないでしょうか。逆に言えば、母と子という二つの存在においては、意識を結ぶ、何かしらのアクションが必要なのかなと思いますよね。
廣島:なるほど!これまでのお話を聞いていて、すごくベビーマッサージもヨガだなということを思いました。ヨガも、ポーズとかストレッチっていってしまうと、運動で終わっちゃう人もいるだろうし、でもヨガという形の中でやっていくことによって、心と体が繋がるとか、二つのものが一つになるということがある。これはベビーマッサージも同じで、ただ赤ちゃんを撫でたり、触ったりするだけだったら、単なるマッサージにすぎないわけなんですけど、お母さんがその子のことを「可愛い」って思いながらやっていると、お母さんは「この子を産んで良かったな」っていう心からの幸せに出会えるわけですね。
どんなに世の中が揺らいでも、この幸せは揺らがないというような種類の本質的な幸せを感じることができる。その行為自体は、赤ちゃんを撫でるというすごく簡単な行為ですが、そこから、かけがえのない価値が生まれてくる。そういうことを感じたり、体験した上でのヨガのポーズであったり、ベビーマッサージであったりっていうことが、すごく大事なことなんだろうなって思ったんです。
アタッチメント・ヨガに話を戻しますが、マタニティー(妊婦さん)や、子どもを産んですぐのお母さんって、とても不安なんですよね。子どもを産む期待よりも不安が勝ってしまう。マタニティーブルーとか、生んだ後は、今度は産後鬱(うつ)なんていう言葉があるように、不安定な状態になりやすい。そういうときに、心の安定を保つという意味で「何か」がすごく必要なんですよね。何もしなければ不安定な方にどんどん流されて行ってしまう。そのときに能動的に「何か」ができること、しかもそれが簡単で誰でもできるようなことというのが、すごく必要なんだと思うんです。アタッチメント・ヨガは、その「何か」としての役割を果たしている。
これについて、アタッチメント・ヨガ以前にも、様々なマタニティーヨガのメソッドっていうのがあったと思いますが、今回ロータスさんと一緒に作ったアタッチメント・ヨガは、その意味で、これまであったようでなかった、新しいスタイルのマタニティーヨガなんじゃないかなという気がしているんですけども、実際、業界のリーダー格としてのロータスさんが、ヨガの分野から見た、アタッチメント・ヨガってどんな感じですか。
橋村:所謂、体を動かすヨガから来た人たちからしたら、こんなに体動かさないの?って思うと思うんですよね。でもヨガをやってない人たちにとっては、産前産後の大切でデリケートな時期に、いきなり体を動かすヨガをやろうと思うと、リスクが大きいわけです。
廣島:確かにこれまでのマタニティヨガって、ハードル高いですよね、正直。
橋村:どういうものをやるかにもよるんですけれど、誰でもできるっていう意味では、このアタッチメント・ヨガっていうのは、すごく良いと思うんですね。やっぱり注目しているところが心理学的なものであったり、お母さんと子どもとの繋がりを再度意識するところなので、その部分にポイントを置いているヨガとしては新しいと思うんですね。所謂、ヨガ目線で作ったマタニティーヨガであったりとか、産後ヨガっていうのは、どうしても体型戻しとか女性ホルモンのバランスを整えましょう、開いた股関節を戻しましょう、股関節を柔らかくしましょうみたいな話があったり。
廣島:対症療法的ですよね。
橋村:そうですね。体を元の状態に整えましょうっていうような話が多いので。
廣島:面白いですよね。ヨガっていうのは、もともとは体がどうこうじゃなくて、寧ろ、心に向いているものだと思うんですけど。要するに哲学的なものでもあるじゃないですか。心の考え方だとか心の拠り所だとかっていうところに目的を置いているのに、それが、股関節だとかっていう対症療法的なところに向かっているって。
橋村:それは多分アプローチの違いでしょうね。入り口が大きく二つあって、心の入り口と体の入り口があるんですよ。心の入り口から体に入っていくんですよ。そして、体の入り口から……
廣島:心に入る。
橋村:確かに廣島さんのおっしゃるように、心から入っていきたいんですよ。だけどなかなか難しいから、ヨガ業界的には『骨盤を整えて……』っていうのも、最終的にはその人がその人を見つめるっていう方に入っていくので、心の世界に行くと。
廣島:入り口はどういう入り方でも、最終的なゴールとしては、本当の自分に出会うということ。
橋村:そうですね。
廣島:それを聞くと、ますます我々の業界と、ものすごく似てるな。例えばベビーマッサージって、実際お母さんたちの目線でいうと、流行っているからとか、頭が良くなるからというのが、始めるきっかけだったりします。マッサージによる皮膚刺激っていうのはすごく脳の刺激になるので、発達を促すことに繋がるという言い方ができます。でも皮膚刺激や脳刺激が目的ではない。実際には、お母さんの愛情が、発達を促す最も大きな要因なのです。そうすると何でもかんでも刺激すればいいのかっていうと、そうではない。最初はベビーマッサージで脳刺激。そこから、ベビーマッサージが実は心が関連してるんだとわかる。そうした流れの方がすそ野を広げることにもなる。
橋村:所謂、ヨガスタジオでやってるヨガっていうのは、ハタヨガって呼ばれる、体を動かすヨガにしか過ぎない。皆さんが素敵な音楽を聴いて、自分の調和がとれるのであれば、それは『音楽ヨガ』なんですよね。例えば、山歩きが好きで、山を歩いてくことによって、普段疲れている心がフレッシュになってきて、本来のその人に戻るなら、それは『山歩きヨガ』です。ヨガって本来の自分に戻るための、メソッドだったり、そういう状態だったりするんですよね。
皆さんが思っている体を動かすヨガっていうのは、単純にその一つの方法論を紹介してるっていうだけなんですよ。なので、ベビーマッサージから入ろうと、何から入っても良いから、自分っていうのをちゃんと見つめなさいと。それをしながら自分が何をすべきか知りなさいと。それでいて、自分が調和をとりたいものと、ちゃんと調和をとりなさいということですよね。